「そうだよね、水の月だもん。雨も降るよね…ん?」6月水無月は水が無い月と書くのに、なんでこんなに雨ばっかり降るのでしょう。少し不思議に思ってしまいますよね。
これには理由があるのです。少し水無月のことを調べてみると、その名前の理由や、この言葉がどんな季節に生まれた言葉なのか知ることができます。
美しい名前の水無月。少し深堀りしてみませんか?
目次
水無月は何月?読み方は?旧暦の場合はいつからいつまで?
透き通ったとても美しい名前だと思いませんか?これは日本古来からある和風月名(わふうげつめい)のひとつです。
水無月は6月だが、旧暦では6月下旬から8月上旬?
現在の日本は、新暦を採用しています。その為、カレンダーではそのまま6月を水無月としています。ですが、水無月という言葉は、明治5年以前の旧暦の時代からあるものです。
つまり本来の水無月の季節は、旧暦の6月、つまり6月下旬から8月上旬ということになります。となると、梅雨とも言いきれませんよね。
少しは梅雨が残っていることもあるかもしれませんが、むしろ暑さがどんどん強まって行く季節のことだったのですよ。
水無月の意味由来・語源は?
「水の月」から「水無月」の説
そこで、この月が「水の月」と言われるようになり「水無月」となったという説があります。「無」は無いという意味では使わず、助詞の「の」として使われていたのです。
つまり、水は豊富にある季節ということなのです。その頃の人々には、稲作が生活の中心となっていましたから、水を引く月を名前にするのも、自然な気がします。
「水が無い月」で水無月という説
旧暦の6月は、やはりかなり暑く、水が干上がってしまい水が無い。または、田んぼに水を引くために余分な水が無い、だから水無月と言うわけです。
どちらにしろ、稲作にまつわる理由であることから、当時の人々の生活には農耕が大きく影響していたのだなあと感じることができますね。
水無月の別名は?他の呼び方もある?
水張月(みずはりづき)
田んぼに水を入れる月という意味で水無月、という説は紹介しましたが、同じような意味で「水張月(みずはりづき)」とも言われました。
生活に田んぼがとっても大きな意味を持っていたことがわかりますね。
晩夏(ばんか)・季夏(きか)
旧暦では、4~6月が夏とされていたため、水無月はもう夏の終わり。そのため「晩夏(ばんか)」「季夏(きか)」とも言われました。
ともに夏の暮れ・終わりという意味です。
風待月(かぜまちづき)・松風月(まつかぜづき)・蝉羽月(せみのはつき)
一気に暑くなる梅雨明けのこの時期には、気候を盛り込んだ言葉も多くなります。
あまりに暑いので涼やかな風を待つという意味で、「風待月(かぜまちづき)」、「松風月(まつかぜづき)」、蝉の羽のように薄い衣服を着たいほど暑いから「蝉羽月(せみのはつき)」という風情のある言葉もこの季節ならではです。
鳴神月(なるかみづき)
6月は雷も多くなるので「鳴神月(なるかみづき)」とも言われました。
クーラーなどのない時代、夏はとてもつらかったのを、涼やかなものを求めて工夫して生活していたのだなあとわかりますよね。
水無月を季語に使った俳句はどんなものがある?
以下、水無月を季語に使った俳句です。
水無月の 空色傘や 東山
京都東山を詠んだ小林一茶の句です。水無月の美しい空色が東山の傘のように見えると言う、夏の東山の美しさを表現しています。
水無月や 草植えふやす 庭造り
梅雨が終わり、庭作業に最適な季節だから植物を増やそうという、長谷川かな女(かなじょ)の句です。楽しそうに季節を味わって過ごしているのがわかりますね。
水無月や お白粉なする 脇の下
いかにこの季節が暑かったのかを詠んだ、正岡子規の句です。有名どころですね。
「わかる~。」と思う方も多いのではないでしょうか。
暑くて汗が出て、着物に汗地味ができてしまうため、白粉を塗って止めているという句です。
俳句はとかく昔の時代のよき文化というような印象になりがちですが、現代でも共感できることもとても多いですね。夏には同じ思いを感じていたのだなと少し笑ってしまいます。
まとめ
いかがでしたでしょうか。水無月という言葉の背景を少し思いめぐらすことができたでしょうか?
雨が降って水っぽい季節だからというわけではありませんでしたね。水無月という言葉は現代でもとても美しく感じます。
京都では6月の終わりにいただく涼やかな和菓子に水無月という名前が付けられ愛されています。
水無月の頃には和菓子でもいただいて、暑さの中の涼やかさを味わいながら、ゆっくりとすごしたいものですね。