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針供養で有名な神社は淡島神社?いつから始まった?
始まりは不明とされていますが、清和天皇によって縫い針の供養がされたと言う伝えもあります。その際、針供養の堂を法論寺に建立したとされているため、恐らく9世紀前半には日本でこの針供養が行われ始めたと考えられています。
日本で鉄の針が大量に製造され使われるようになったのは室町時代のことです。和歌山県の淡島信仰と結びつき、この風習が淡島願人を通じて日本全国に広まるようになったのは、江戸時代中期以降とされています。
針供養を行うのは2月8日または12月8日であり、2月8日と言うのは『事始め』の日とされているので、農作業や裁縫仕事の手を一旦止めて休み、そこからまた新たに一年の作業を始めましょうと言う考えがあります。
関西地方や九州地方では12月8日が一般的ですが、大阪天満宮や淡島神社では2月8日に、また嵯峨の法論寺では両日ともに執り行われるなど、各地で様々です。
針供養で豆腐を刺す意味は?こんにゃくも使われる?
なぜ豆腐を刺すかと言えば「約1年もの間使った針にゆっくり休んで成仏して欲しい」との願いから最後はとても柔らかい物を刺して終わらせるためです。
今まで通しにくい物ばかりを刺していたので、最後くらいはスルっと通る豆腐が選ばれたのでしょう。さらに次に向けて裁縫の上達を祈願するという願いもあります。
昔からある柔らかい物で思いつくものは豆腐ですが、その他にもこんにゃくなども使われるようです。
こんにゃくも使われる?
折れたり曲がったりした針というのは厚手の布地や硬い部分に刺してしまったがゆえの代償でしょう。頑張ってくれていた針にせめて最後はやわらかいものを刺すという経験をしてほしい、そんな理由があるのです。
こんにゃくも豆腐もスーパーマーケットで簡単に手に入ります。なので家にある折れまがった針をぜひ針供養してやりましょう。
豆腐やこんにゃくに針を刺すのは江戸時代には広まっていた?
その時代には服を次々に新しいものに変えていくなんてことは難しくほどいて丈を直したりほつれた部分に布を当てたり、針仕事はあたりまえにおこなわれていました。
硬いものを刺し続けたのだからやわらかいものに刺そうという考え方は感謝の意を強く感じますね。そして選ばれたのが「こんにゃく」や「お豆腐」といった食材だったという発想、昔の日本人というのは本当におもしろい行事を考えだしたものです。
いっぱい頑張ってくれた針にありがとうの感謝を伝える素敵な行事です。
針供養は俳句の季語でも使われる?「初春」の意味がある?
針供養の伝統文化への理解、継承の観点、また自分たちが日頃使っている道具への感謝の心を養い、それと同時にそれらを使う手仕事の技術の上達向上を願うという考えも持たれています。
そんな針供養の意味を用いて、昔の人々は俳句に織り交ぜ日常の風景、あるいは季節の変わり目を詠んでいたようです。
針供養は『はりくよう』『はりくやう』などと読まれ、『初春』の季語として使われ、『春の行事』としてもよく用いられています。月分類としては『2月』の季語とされており、子季語、関連季語、類語などとしては、針祭(はりまつり)、針祭る(はりまつる)、針納(はりおさめ)、納め針(おさめばり)、供養針(くようばり)などがあります。
「針供養」の季語を使う有名な俳句
- 『山里や 男も遊ぶ 針供養』(村上鬼城:定本鬼城句集)
- 『針納め ちらつく雪に 詣でけり』(高橋淡路女︰雲母)
- 『いつしかに 失せゆく針の 供養かな』(松本たかし:松本たかし句集)
- 『親方が 一人男や 針供養』(瀧春一)
- 『色さめし 針山並ぶ 供養かな』(高浜虚子)
上記のような有名作品があり、名だたる俳人たちによって『針供養』を用いた数え切れないほどの素晴らしい句が存在します。
中でも、『色さめし 針山並ぶ 供養かな』という句は、俳人高浜虚子によって詠まれたもので、人のみならず物にまで感謝の気持を持つ針供養の心に共感し、自身の心情に重ね合わせて詠まれたのではないかとされています。
針供養の文化に対する海外の反応は?
日本人は終わりに感謝する文化がある!?
『針供養』の考え方にもあるように、日本人は身の回りにある様々な物に感謝の気持ちをもっており、それらに『終わり』がくるとそのものたちに感謝し、手を合わせて送り出す心があります。 『針供養』のほかにも、『免許供養』や『靴供養』、『箸供養』などもあり、自分の生活に携わった、無くてはならなかったものたちの最後を慈しむ心を持っています。
用済みになった物を簡単に捨てるのではく、しっかりと供養する習慣は、日本人が物には魂が宿っており、その存在を感じたり信じているからであります。
針供養など供養に対する海外の反応は?
やはり、海外ではこういう考え方や風習はあまりないらしく、日本人が物を供養することを知って驚いるようです。 『そんな発想理解できない』と言う外国人もいれば、『日本人らしくてとても面白い風習だ』と好意的に思う外国人も多くいて、共感する人も少なくないそうです。
こういう背景から、日本には『モンスター』とも『ゴースト』とも違う『妖怪』という独特の存在がいることについても、海外では独特な考え方だと感じているようです。
アメリカ人やヨーロッパ人のキリスト教徒文化圏、インドネシアやトルコなどのイスラーム教文化圏の外国人は、一神教ということもあり、神様以外で見えない存在に魂を持つ考えはなかったようです。 物には霊魂が宿り、それが何かの条件で妖怪になるという日本独特の発想は、存在しないと考えているためです、
しかし現代においては、だからこそ興味深いと考える外国人も多いようですね!日本の文化に興味をもってもらえるきっかけになると嬉しいです!
まとめ
『針供養』と言うと、現代の日本人にとってもあまり馴染みのない風習になってきているようにも感じます。
しかし、改めて『針供養』についての起源や由来、それにまつわる考え方を掘り下げることで、『針』だけてはなく、自分たちの生活に関わる全ての『物』に対して大切にするという考え方や、魂が宿り大事にそして感謝すべき存在という考え方が今一度改められ、現代人が抱える問題にも良い影響をもたらすのではないかと考えます。